30代を過ぎると、「ちゃんとしてるね」と言われる機会が自然と増えてきます。仕事も私生活も、ある程度の段取りがわかってきて、ミスもしない。見た目も崩さないし、周りに迷惑をかけるような行動もしない。ちゃんと大人としての立ち居振る舞いが身についてきた、そんな感じ。でも、ふとした瞬間に思うんです。「この“ちゃんとしてる風”、本当に私の中身と一致してる?」って。

ちゃんとしてる「風」が身につく過程

思えば20代の頃は、「ちゃんとした大人」になることがひとつの目標でした。社会人として恥ずかしくないように、敬語を覚え、TPOをわきまえ、時間を守り、清潔感のある装いを心がける。そうやって積み重ねてきた日々の努力の延長線上にあるのが、今の「ちゃんとしてる風」なんだと思います。

でも、あくまでそれは“外から見た姿”。中身が追いついてるかどうかは、また別の話。心の中では不安や迷いだってあるし、完璧になんて程遠い。人間関係でモヤモヤしたり、意味のない焦りを感じたり、自分でもよくわからない感情が渦巻いていたり。だけどそういう本音は、見せられる相手が限られてくるんですよね。

「ちゃんとしてるよね」と言われることが褒め言葉に聞こえなくなるのは、自分でもその“演じている部分”に疲れてきた証拠かもしれない。

限界を感じる瞬間

たとえば仕事で理不尽なことがあったとき、プライベートで誰にも相談できないようなことが起きたとき。「まぁ大丈夫でしょ」と自分に言い聞かせる癖が、かえって自分を追い詰めていたりします。誰かに頼ったり、泣き言を言ったりするのは「ちゃんとしてない」と思われそうで、つい抑えてしまう。でもそれを続けていると、感情の逃げ場がなくなってしまうんですよね。

そして何より怖いのは、自分自身が自分の“本音”に鈍感になってしまうこと。嬉しいことがあっても素直に喜べない、何かが違う気がしても「まぁいっか」で流してしまう。そうやって気持ちを無視し続けた結果、「ちゃんとしてる風」だけが残って、肝心の“自分らしさ”がどこかへ行ってしまうことがあるんです。

「ちゃんとする」と「自分を大切にする」は別もの

大人になるって、ある意味では“ちゃんとする力”を身につけること。でも、だからこそ「自分の心の声に耳を傾ける力」も、同じくらい大事になってきます。無理して笑う必要はないし、落ち込むときは落ち込んでいい。誰かに頼ることや、休むことは、「ちゃんとしてない」ことじゃない。

むしろ本当の意味で自分を律するって、自分の限界や疲れをちゃんと認識して、必要ならブレーキを踏むことなんじゃないかと思うんです。「ちゃんとしてる風」を手放すことで、本当の意味で“ちゃんとした大人”に近づけるのかもしれません。

誰かに「しっかりしてるね」と言われるより、自分で「今日、よくがんばったな」って思えることのほうが、ずっと価値がある。

気付きは変化のサインだ

「ちゃんとしてる風」で生きることが悪いわけではありません。でも、もしその“風”に少し疲れてきたのなら、それは自分の変化に気づくサインかもしれません。無理に演じなくてもいい。もっと自由に、もっと自分らしく。そんなふうに生きていけたら、「ちゃんとしてる風」なんて言葉も、必要なくなる日がくるのかもしれません。

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